ネガテイブ人生論

人生について暗い視点でデイープに考えるブログ

恋愛における自他の境界線

 

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恋愛で自他の境界線をはっきりとさせて

本気で恋愛することはできるのか。

 

依存と共存という観点から考えてみる。

 

<依存>
他が自分と同じように考えている、言わなくても分かってもらえると感じている。

相手の考え方は今後も変わらないだろうという前提。

自分が満たされていないとき相手に愛を乞う。

 

<共存>
他が考えていることがわからないからこれまでの

その人との関わりから予測、または自身の経験値から想像する。

相手の考えは常に変化するから相手の今を感じようと観察する。

自分が満たされていないとき原因を考えまずは自分で解決策を考える。


このように考えてみた時、例えば心が弱っていて相手に相談をしたり
スキンシップを通して愛情を受け取ることは 
依存(境界線を越えている)行為とも言えるのではないか。

 

そもそも人は恋愛相手に『母性』を求める。
無言で感じとってもらい何でも受け止めてもらえる心を求める。

時に自分の指針となるアドバイスを求める。これは男女どちらでも同じことだ。

境界線を越え、依存共存しながら生きていくのが恋愛であり人間の生々しい姿

であったとしても弱さから脱却できることはないのだと言われているようで苦しい。

 

境界線がまだ見えており(客観性があり)依存傾向への自覚があり回復が早く

自地点(自分の心理的原点)に簡単に戻れる場合は健康的であり問題ない

といえるが境界線があいまいになり自地点に戻れなくなってしまった場合、

その時からが恋愛という関係を通して本当の自分と格闘することになって

いくのだろう。

 

境界線を明確にしているのが健康的な心理状態とはいえ、

境界線を越えていない場合それが本当に好きという気持ちに繋がっているのか、

それはまた疑問と思える。

「好き=苦」 というのはやはり真実なのではないだろうか。