ネガテイブ人生論

人生について暗い視点でデイープに考えるブログ

生きづらさ

ひとそれぞれの哲学

哲学者の哲学をあたかも自分の哲学のように話す人間がいる。有名な哲学論を知っているかなんて本当は意味がないと思う。哲学者の主観でしかないから。それをひっそりと心に留めておくのはいいが自分発のように人前で話すのは全く違う。 本来哲学ってそれぞれ…

迷い続けるという不幸

選択肢あふれる世の中日本というある意味恵まれた環境で 多くの選択肢があるということ幸せといえばそうかもしれない でも今の自分の在り方への疑いはつぎからつぎへと止まらない もっといい仕事もっといい相手もっといい生活 どこに終点があるのだろう 選び…

空虚な世界で生きているということ

資本主義世界の中で生きるということ。 私たちは魂まで持っていかれたのだろうか。 本当の自分に蓋をし虚勢を張り内省しない大人たち。 負の感情に蓋をし正の感情も見えてこなくなり無感動 無表情。 電車ではベビーカーがあろうが子連れがいようが我先に 乗…

恋愛における自他の境界線

恋愛で自他の境界線をはっきりとさせて 本気で恋愛することはできるのか。 依存と共存という観点から考えてみる。 <依存>他が自分と同じように考えている、言わなくても分かってもらえると感じている。 相手の考え方は今後も変わらないだろうという前提。 自…

幸せは枠の内なのか外なのかそれとも

赤ちゃんを連れている家族を見ると幸せにあふれているようにみえる。 かつて自分の子供が赤ちゃんだった頃とにかく必死だった。 なんでもそうだけど外に出てしまうと今の自分が不幸せに映る。 それともあの枠の内にいて夢中だった頃は本当は幸せだったのかも…

人と話しても本当の意味での話した気にはなれない

たいていの人は表面的な会話を好む。だれだれがどうした、なになにがあった、など。 自分の事についてはなんとなく話すがなにをどう感じたかはあまり詳しく話さない。 私が知りたいのはどう感じたか今後どうしていきたいのか、それにより他とどう関わりたい…

自己解放と不安

自分を解放すること甘えさせることはどこまで可能なのだろうか。 自分に厳しくすることは自分にとって安心に近づくことだが 自分を甘えさせることは不安を招くことになる。 自分を解放し甘えさせたとき果たして自分は現実に戻れるのだろうか。 人に甘えるこ…

日常と非日常の乖離

日常に非日常を持ち込むことがプラスになるのかどうかという考えだが、急がば回れのごとくあえて取り込むことで日常に意味やモチベージョンを与えるきっかけになる可能性はある。 しかしながら、現実と仮現実の乖離に苦しむことがあることもやはり否定できな…

幸せの定義

今私は健康で周りに家族がいて友達もいて仕事も趣味もそれなりで恋人もいて これで本当に幸せなのですか。ただ幸せと気づいていないだけなのですか。 幸せとは結局相対的な概念であって人それぞれであっていいはず。 いわゆる条件が整っているからって幸せと…