日常と非日常の乖離
日常に非日常を持ち込むことがプラスになるのかどうかという考えだが、
急がば回れのごとくあえて取り込むことで日常に意味やモチベージョンを
与えるきっかけになる可能性はある。
しかしながら、現実と仮現実の乖離に苦しむことがあることも
やはり否定できない。
日常と非日常、現実と仮現実、
これらに境界線を持たせることなく
生きられる人々。
自分と何が違い何が同じなのか。
「刹那的」こんな言葉がふと浮かぶ。
自分が決めた枠組みにしっかりとはまっていることを
安心と捉える一方
私の中にある刹那的な部分を置いていくわけにはいかない。
自分にも充分に刹那的なところがあるのだ。
刹那的であることに惹かれる一方それを強く否定する。
では刹那的でない人間とはどうなのか。
抜けた感じがない、風が吹いていない、ということなのだろうか。
この殺伐とした世の中で生き残るには
刹那的な風を吹かせられる余裕、思い切りが
必要なのかもしれない。どうせ人は死ぬのだから。
清く正しく生きる、そんな概念が何の役に立つというのか。
刹那的な自分をどう理解するのか、これも生きる上でのテーマなのだろう。